マルチメディアとか、国際化はもっと前からできたのではないかと言われましても、物自体ができていませんから、やはり1993、4年くらいにならないと現実には何もできなかったというのが偽らざる実体でした。


そういうものがインフラとしても固まって来るころを狙ってサービスも出し、ようやく実現できる運びになったのです。


サービスとして見ると、携帯電話やPHSといった新しい電話、ISDN、インターネット、OCNなどいろいろ出てきました。


電話加入数というのは、今までの普通の電話でだいたい6千万で、最近は新規加入が減り始めています。


これは相当携帯電話に食われているからだと思います。

とある有名企業は1994年1月にマルチメディア基本構想を発表しました。


ちょうどそのころから、本格的にアナログからデジタルの新しいサービスということを打ち出して行かなくてはいけないと思い始めたのです。


逆に言えば、黙っていてもそういう需要の話がどんどん出て来ることを期待していたのです。


そろそろ先が見えて来ていたのに、そういう動きがあまり日本の場合はありませんでした。


その後、新サービスが現れ現実が基本構想に追いついてきました。


藤沢の記憶では、その手紙にはおよそこう書かれていました。


「あなた方の先祖が西洋から自転車を導入してからまだ百年とはたっていません。


先祖の方々は自転車についてあまり知ってはおられませんでしたし、その乗り方も、作り方もご存じなく、パンクを直すというような簡単な問題もどう扱っていいかご存じなかったのです。


ですがそれをすっかり学び、しかも上手にやることを覚えたのです。


日本人の工夫の才によって、先祖の方々は豊かな暮しをたて、あなた方に自転車店と生計の道を残されました。


さてこの度私どもは新しい製品を売出そうとしています。


それはモーター駆動の自転車です。


今までほとんどご覧になったことがないでしょうし、その売り方も修理の方法もあなたはご存じありません。


しかし私どもはそのどちらについてもあなたのお手伝いをするつもりでおります」5千軒の販売店が藤沢の手紙に応じ、日本で最初で最大の全国的な販売網ができあがりました。

松根油時代のベテランで若い助手の河島喜好が東京から東海道を険しい箱根峠沿いに新しいオートバイに乗って走り、本田はその後を車でついていきました。


懸命に追い掛ける車のなかで、本田は、ソニーの最初のテープレコーダーのように、自分も技術の世界で勝利者になったのを知りました。


「山頂で河島さんが一休みしている時にやっと追付いた。


芦の湖の景観を見渡せる場所だった。


オートバイを囲んで立っている私たちの目にあふれる嬉し涙にふさわしい激しい雨が降っていた」さて、山頂の涙のロマンスを経験することもなく藤沢はその機械を売らなければならなかったのです。


彼は一発で成功を狙いました。


日本中に1万8千軒ある自転車販売店全部に手紙を出しました。

盛田は自社独自の流通販売ネットワークを作り、大規模に、費用をかけてソニーを直接マーケティングに携わらせようと決心しました。


井深と部下のエンジニアたちに異議がなかったわけではないが、結局彼らも同意して、ソニー販売の誕生となったのです。


一方の本田は彼の〈夢〉の機械を作り出すことに成功していました。


4サイクル・エンジン付きの形のいい強力なオートバイです。


1951年の試運転のことを、本田は今も覚えているそうです。

ヤマハが学校へ盛んにピアノの販売を行なっているのに目をつけた盛田は、この会社ならテープレコーダーも売ることができるのではないかと思いました。


彼の考えは間違っていました。


何かを売るためには、そのものについてよく知っていなければなりません。


当時ヤマハはエレクトロニクスをよく知りませんでした。


機械の説明ができなかったし、修理もできなかったのです。


多数の学校とつながりを持つヤマハの大規模なネットワークを利用したにもかかわらず、ソニーの売上げは落ち始めました。

ソニーの仕事はたんに機械を売りこむだけではありませんでした。


それが販売の糸口をほぐす役にたったのです。


ソニーはいわば機械の使用法を売っていた、そのことが問題を一つ解決したのでした。


レコーダーの新しい利用方法が学校で見つかり、何台かが売れると盛田はテープレコーダーの将来は学習補助機械だと思いました。


ソニーの販売店に勤めていた倉橋正雄はこの成功で望みをつなぎ、この機器の全国販売を任せてくれと店の主人に申出ました。


主人は断わりました。


盛田はすぐに倉橋を雇い、その子会社の社長にしました。


やがてソニー販売となる会社です。


しかしソニーは大きな誤りを犯しました。

盛田はカクテル・パーテイから小学校訪問にいたるまで根気のよいキャンペーンに乗出しました。


最初の買手は名古屋の地方裁判所でした。


レコーダーは法廷での議事の記録に使われました。


盛田はこれが大事な突破口になる、この機械が大規模に使われる見込みができたと考えました。


すぐに法務省本省に駆け付けて、あと60台を売ることができました。

マーケティングの問題に関するソニーの解答は、盛田を卓越した世界的なセールスマンとして存分に活躍させたことでした。


後に、トランジスター・ラジオその他の消費者用エレクトロニクス製品の販売で、ソニーがテキサス・インスツルメンツのような技術的に勝る会社を追抜くことができたのは、テクノロジーよりもむしろセールスマンシップ、つまり消費者の必要や反応に対する敏感さのおかげでした。


しかし1950年には、経理担当者が破産を予告し、ソニーとその代理店は大衆に一台のテープレコーダーも売ることができないでいました。

本田宗一郎は非常に外部志向型の人間らしいです。


それでも彼の非凡な才能は、手にスパナを持ち、グリースとガソリンのなかでの〈汚れ仕事〉のなかで最もよく発揮されました。


本田はマーケティングの問題を解決するために、共同経営者に藤沢武夫を招きいれ、彼に財務、販売および戦略的マーケティングの全権限を委譲しました。


マーケティングはアメリカでパナソニックという商標を使っている松下にとっても成功の鍵でした。


ソニーやホンダほど冒険的でも革新的でもなく、創業も早い松下が、両社および多くのアメリカの競争会社を凌ぐことができたのは、主に他社、ことにソニーが発明し売出した製品を模倣し、顧客の必要にうまく合わせる才能にすぐれていたおかげでした。

カテゴリ

My Link

散骨 横浜

横浜の散骨は【ファミリーホール】へ。海への散骨、家族葬、一日家族葬、一般葬など、全4つの葬儀プランを基本として、必要なものだけをプラスしていくだけ。少人数で直葬・火葬をお考えの方も是非ご相談ください。

バイク査定

「バイク買取一括査定.net」はバイク査定・バイク買取のエキスパート。無料で中古バイクの買取企業に一括査定依頼ができる便利なサービスです。

PET検査

日本医科大学健診医療センターは、最新鋭の機器を配備し、PET核医学認定医が専門に診断。本学付属病院との緊密な連携体制を整えています。

藤沢 賃貸

湘南エリア(藤沢・辻堂・茅ヶ崎・鎌倉)の不動産売買・賃貸情報!湘南の売買・賃貸物件はお任せ下さい。

インプラント 前橋

群馬県前橋市の歯科。インプラント、審美歯科(セラミック)、義歯、補綴、一般歯科、小児歯科、顎関節症など承っております。

中古バイク

中古バイクと新車バイクを全国のバイクショップから探すことができる「BIKET」は、新車&中古バイクの在庫検索サイトです。メーカーや価格、ショップ地域、ボディタイプ、排気量などから新車バイク&中古バイクが探せます。

キャンピングカー 買取

買取コーナーです。キャンピングカーの査定・買取ならぜひご相談ください。

賃貸 吉祥寺

賃貸アパート・賃貸マンションなどの賃貸物件は、タウンハウジング吉祥寺店へお任せ下さい。きっと、お客様にぴったりな素敵なお部屋が見つかります。